昨日より少しだけ

コーヒーがおいしくなればいいと思って書いている

静かな場所が好き

落ち着いて、一人になれる、静かな場所が好きです。

それが水辺であれば尚良し。

僕は今住んでいるところからしばらく行ったところに湖があるのですが、そこがお気に入りの場所になっています。

近くに街はあるのですが、その湖はその一帯からは切り外されたように静かな場所です。近くの道路を走る車の音もほとんど聞こえてきません。

湖なので風を遮る物が無く、風のある日はいつも柳の木だけが揺れています。

僕はその湖を縁に沿ってゆっくり歩くのが好きです。

向かうあても無く、ただ歩きます。

歩きながらぼんやりと、頭の中にいろんなことを浮かべていきます。

浮かべるだけで、あまり深く考えたりはしません。

そうやって歩いて、自分の心と体が混じって馴染んで、落ち着きが取り戻されるのです。

昼寝をした

久々に昼寝をしました。

昼寝と言っても夕方から夜にかけてなので、昼寝と呼んで良いのか怪しいです。

「せっかく休みなのだから、少し落ち着こう」と思って、Lo-Fi Hip hop を延々流しているyoutubeライブを開いて、グデっとクッションにもたれかかりました。

ぐでっとしているうちに時間が過ぎて、気づけばウトウトしていたので、布団に行って、2〜3時間くらい眠りました。

それだけで、何だかずいぶん楽になりました。

疲れていたんだなと感じました。

この頃は少し多めに睡眠時間を取っているつもりでした。

実際十分に寝ているはずなのですが、それでも疲れは取れていなかったようです。

靴を洗わない

小学生の頃は、上履きを洗ってましたよね。

毎週金曜日になると、ランドセルに引っ掛けたりして持って帰って、たわしと洗剤でゴシゴシやってました。たまに学校に忘れて帰っちゃったりして。

靴を洗わなくなったなと思うのです。

僕は日々スニーカーを履いて過ごしています。ほとんど毎日同じものを履くので、1年もすれば底がすり減りくたびれてきて、長くても2年で買い替えてしまいます。

「汚れたな」と思う頃には大抵買い替えのタイミングが迫ってきています。

だからもう長いこと靴を洗っていないです。

別にそれで悪いとも思っていないのですが、何というか1年かけて使い捨てている形なので「これで良いのかなぁ」みたいな感じにはなります。

毎日履いてりゃ、くたびれてもくるんですけどね。

「やる気」という魔法

「やる気」というものはそもそも存在しないのだそうです。

人間には今行っている行動を続けようとする、物理学で言うところの「慣性の法則」のような習性があるそうです。

「やる気が出ない」というのは結局はそういう言い回しの1つでしかなく、実際のところは「それをやらないでいる」という行動を続けようとする人間の習性に抗えずにいる、という状態らしいのです。

一体「やる気スイッチ」とは何だったのか。

僕は今までどれだけのことを「やる気が出ない」という理由で遠ざけてきたことか。

過去に重ねてきた罪の重さ、悔やんでも悔やみきれません。

 

でも、そう言われてみれば確かに、「やる気を出した自分」という別人みたいな誰かを勝手に描いていたよなとも思うのです。

ひとつ、魔法が解けたような気がします。

 

今週のお題「やる気が出ない」

ビールを飲んで、夜風を浴びる

この頃は暖かいを通り越して暑い日になることもあります。

半袖で過ごしている人もちらほら見かけるようになりました。

5月は前半にゴールデンウィークがあるので、毎年ふと気付いたら半分が終わっているような感じがします。

田んぼに水が張られ、夜はかえるの鳴き声が響くようになりました。

また夏が始まろうとしています。

するすると進んでいく時間の中で、僕はビールを飲んで夜風に当たって過ごしています。

自分にできることはやっているけれど、それでも置いて行かれてるような感覚になります。

こんなこと考えたって、仕方ないのにね。

スマホを持たない人たち

小さな画面に小さな文字、数多存在する暗黙の了解。

スマートフォンとは、その規格の時点でお年寄りには不親切な設計なのかもなと思います。

アカウントごとに存在するパスワードとか、色んなアプリでそれぞれブラウザを開いたり、電話とは別の通話手段が存在していて。

もはやこの国ではインフラと呼んでも良いくらいに生活に食い込んでいますが、「生活の一部」とするには、あまりに知らない人に対しての敷居が高いように思います。

しかし、今の世の中はインターネットに軸足を移そうとしています。

今後、インターネットが常識になる世の中で、確実に常識から取り残される人が出てくるでしょう。

その時、僕らはその人たちを指して「非常識な人」と呼ぶようになってしまうのでしょうか。

この頃の過ごし方の変化

昨年は本を読んだりゲームをしたりしてましたが、この頃はパソコンを触っていることが多いです。

この間新しく買ったからですね。パソコンでできることが増えたので、家で過ごす時は大体それをやって過ごすという感じです。

パソコンに触る時間が増えたので、それに比例してブログの更新頻度も上がっているように思います。

家の中でできることを模索する生活は変わりませんが、その中でも「溜めていたあれこれを消化する」から「この状況に適したことを始める」方向にシフトしていっている感じがします。

そういう意味では、前より時間の流れは感じられるこの頃だと思います。

これが良いのかどうかは、わかりません。

相変わらず溜めていたあれこれは無くならないし、それが消費される日は果たしていつなのかとも、やはり思うのです。

いつの世も、時間だけは皆平等に有限なのですね。

 

今週のお題「おうち時間2021」