昨日より少しだけ

コーヒーがおいしくなればいいと思って書いている

それほど記事を書かないでいる

僕がこうしてブログを書く時は、大抵時間に余裕がある時だったりします。

最近のように何かしらやることがあったり、忙しい時は更新頻度がガクッと下がります。

その傾向はこのブログで更新をするようになってから顕著ですが、実は以前からありました。その度に「書く気になれない」なんて内容の記事も書きながら、努力して更新の頻度を維持していました。

ぼんやりと何かを思う余裕がある時、それを言語化する時間がある時、僕の意識は初めてブログに向かうように思います。「これを言葉にして放ちたい」という感覚が表れます。

そしてこの感覚は、僕にとってそれほど優先順位の高いものではないようなのです。

他の時間を削ってまでやろうと思わないし、そこに理解するための労力を集中させたいとも思いません。

根本的な熱量がそれほど高くないと思うのです。

そういうところに、理由があると思うのです。

1年が折り返そうとしている

6月が下旬になって、今年も半分が終わろうとしています。

僕はどちらかというと手帳の中で1年を区切っている節があるので、毎年手帳を買い替える11月が1年の大きな切り替えのタイミングだったりします。

なので、実は5月の時点で僕の手帳はもうすでに折り返しに入っています。

早かったなと思います。

今年もあとは夏を過ごすのみといった感じです。

昨年もそれなりでしたが、今年も昨年に負けず劣らず盛りだくさんな1年になりそうで、何よりです。

この1年にユウシュウノビを飾るべく、素敵な夏を彩りたいところですね。

服が選べなくなった

流行りのファッションは気が進みません。

どうせ2、3年後に手放す未来が見えてしまっていて、それでも買うのはなんだか消費するように買っている気がして嫌なのです。

ブランドものにも手が伸びません。

物が良いので長く着れるし、流行に左右されない良さはあるんじゃないかと思います。けど、今の自分の身の丈にはどうしても合わないように感じてしまいます。

 ここ2、3年「ちょうど良いところ」が見つかりません。

客観的な価値観から離れて、自分の中に正解を探そうとしたあたりから、ファッションというものがよくわからなくなった気がします。

僕はきっとお洒落じゃないし、お洒落に興味も無かったんだなぁと、最近になって気付きました。

活字が足りない。

活字不足です。

本を読む時間が取れません。行間に挟まれて活字の海に溺れたい。そんな時間が僕には必要です。

読んでみたい本は定期的に出てきます。買っては積まれ、テーブルの上に積み上がっていく未読本に目を向けられず、新しく本を買うことをやめた時期もありました。

とはいえ、買わなければ本を読むこともありません。

新しく読みたい本を探すことは、本を読む意欲を育む温床になるのです。

結局新しく積まれる本はそれほど減りませんでした。

そして、それが消費される速度が上がることもありませんでした。

「これではまずい」そう思い始めてから何年経ったことでしょう。積まれている本のラインナップは時間とともに変わっているのですが、いつでもそこに本が積まれているという光景は変わりません。

買っては積み、読んではしまい、また引っ張り出して積み上げて。

なんだか賽の河原のようだなと思います。ここは地獄だったのか。

飛ばし読みをしてしまう

以前より確実にセッカチになったなと、思います。

世の中が便利になったからなのか、僕の時間感覚が変わったからなのか、とにかくどっかり構えて文字を追うことが前より確実に難しくなりました。

ついつい、先を追ってしまいます。

読んでいる小説に対して「要点だけ箇条書きにして欲しい」なんて愚の骨頂のような感情を抱きます。

以前に自己啓発本の要点をまとめたページを見て「そんなことして何になるのだろう?」と疑問に思ったものですが、そこに需要はありました。

僕は読書を嗜む人間の風上にも置けない、ただただ粋じゃないヤツに成り下がったようです。

本の読み方は年齢によって変わると聞きますが、こんな読み方をする日が来るとは思いませんでした。

昔のブログを越えられない

昔の自分って頑張ってたんだなぁと思います。

このブログは今のところ営利目的では運営していないのですが、一応アナリティクスで計測をしていたりします。

書いた記事の数は120を越えているのですが、未だに更新の止まった古いブログの集客を抜くことができないでいます。

前のブログも大して集客できていたわけではないのですが、それでも抜けずにいます。

いかに、このブログが集客に力を注いでいないかがわかります。

それと同時に、当時の努力はそれなりに実を結んでいたのだなぁと、今になって気付きます。

我が家のエスプレッソマシン

僕の家にはエスプレッソマシンがあります。

父が夜中にポチってしまった高級な代物で、横から伸びたノズルでミルクを泡立ててカフェラテを作ることもできる優れものです。

僕が使うようになるまでは家族の誰にも使われず、ホコリを被っていました。

父曰く「手間がかかるので使いずらい」とのことです。悲しい。

僕は普段はドリップでコーヒーをいれるのですが、せっかく良いマシンがあるのだからとエスプレッソでもコーヒーを飲むようになりました。

買ってきた氷に冷たいミルクを注いで、アイスラテにして飲むのがお気に入りです。

しかしこの方法ではミルクスチーマーを使う必要はありません。

なので、実は普通のエスプレッソマシンでも事足ります。

僕は、この優れたマシンの能力をフル活用する日は多分来ないのだろうなぁと思っています。