昨日より少しだけ

コーヒーがおいしくなればいいと思って書いている

今年の夏を振り返って

何だかんだで盛り沢山だったような気がします。

成り行きで4万円の革靴を買ってしまったり、ワクチン接種の予約を取りに病院を探してみたり、オリンピックだったり、縁を切るくらいの勢いで連絡を取らなくなった友人と話をしたり、好きだったラーメン屋さんが完全休業していたり、事故にあったり。

去年の夏は何してるんだかわからないうちに過ぎ去っていった感じでしたが、今年はそれなりにイベントが沢山あった気がします。

相変わらず人には会わない毎日ではありますが、振り返るだけで色々行動していたのだなとわかります。

僕はこの1年ですっかりこの世の中での泳ぎ方を学んだようです。

たぶんみんなもそうなんだろうなと思います。

来たる秋も、それなりに乗りこなしていけたらいいなと思います。

予約が取れた

実はあれからしばらくした後に予約を取ることができました。

マザーをやり始めるかどうかくらいのタイミングだったと思います。

近くの病院から電話がかかってきて、「予約に空きがでた」とのことで、そこに滑り込むことで予約を取る形になりました。

以前、予約を取れなかった際に「キャンセル待ち」の手続きをしていた病院でした。

色々な事情で余ってしまったワクチンを無駄にしないための処置の1つなのだそうです。

本当に年内に打てるかどうかくらいの気持ちでいたので、とりあえず目処が付いて良かったなと思います。

僕もひと安心ではあるのですが、僕よりも僕の両親の方がひと安心な感じだったので、個人的にはそっちの方が良かったなと思いました。

MOTHERをやった

古いゲームです。

何となくやりたくなったので買ってみました。

ゲームボーイアドバンスのソフトとして移植された「MOTHER1+2」というソフトを買いました。シリーズ全体として評価が高いようなのですが、「名作だ」という声は一緒に収録されている「MOTHER2」の方を指して言われることが多いそうです。

15年以上昔のゲームですが、中古で6000円以上しました。プレミア価格というやつですね。移植元となるファミコンソフトの方も数千円していたと思います。

 

ゲームの中には、何とも言えない「良さ」が散りばめられていました。

「部屋の電気スタンドが動き出す」なんてちょっとありそうな始まり方とか、お父さんと電話で話すことでセーブをするところとか、NPCと話すと風邪を移されるとか、女王さまが記憶を取り戻すところとか、

挙げていけば沢山あるのですが、色んなところにこだわりとか遊び心のようなものを感じることができました。「粋」という言葉がしっくりくるように思います。

色んな要素はあってもストーリー全体としてはちゃんとまとまって感じるし、何より2021年に遊んで「普通に面白い」というのが衝撃的です。

みんなに名作と言われる意味が少しわかった気がしました。

毎日が氾濫している

世間に駆け巡る感染者数最多更新のお知らせ、メダリストへのインタビュー、いつも通りの日常、窓越しの闇夜に蠢くハクビシン

この頃は自分を通り抜ける情報のギャップに辟易としています。

何というか、あまりにチグハグで極端で、相対的に現実味が失われていってるような感じがして、だんだん自分の判断力が鈍ってきそうな気がします。

まあ、気がするだけなのかもしれませんが。

別に毎日のニュースに統一感を出してほしいとか、そんな要望は抱いたことも無いのですが、さすがに毎日がエブリデイ過ぎて、とにかく感情がついていけないまま、真夏のアスファルトに置き去りなのです。

今さっき、ベランダの窓越しにハクビシンと思しき獣が木を伝って降りていきました。

1ヶ月ほど前に見つかった謎の足跡の正体は彼のようです。

予約が取れない

ワクチンの予約がまるで取れません。

10月いっぱいまで埋まっているそうな。

「20代の僕は年内に打てるかどうかも怪しいよなー」くらいの気持ちでいましたが、どうやら本当にそうなってきそうな空気を感じますね。

出遅れていたのだと言わざるを得ません。

僕はワクチンについてあまり急がずやっていたので、こうなることは必然だったとも言えるでしょう。サボってたつもりもないんですけどね。

ともかく、こうなった以上、僕にできることは今まで通り、どっしり構えて時を待つしかありません。

どうあれ、今やることは変わらないのです。

接種券が届いた

先日、僕の手元にも接種券が届きました。

僕の住む地域は接種のスピードが早いとか遅いとか色んな情報が飛び交いますが、とりあえず手元に届いたので良かったと思うのです。

しかし、近くの病院は接種をするための予約を取り付けるのも困難な状況らしく、僕がワクチンを接種するのは、まだ先になりそうです。

色んな人の話を聞く限りでは、必死になれば打てないこともないらしいのですが、打っても打たなくてもおそらく僕は今まで通りの生活を続けることになるので、そこまでする必要があるのかは疑問です。

勿論、早いに越したことはありません。

しかし、定かでない情報に振り回されて駆け回るのは気が進みません。

自分で調べて確かめないことには、何も始まらないと思うのです。

形に残すこと

行動あるのみなのだなと思います。

どんな発想もアイデアも、形にすることで初めて存在するから。

行動に起こすことが、自分の感情とか思いつきを現実に反映させる唯一の方法なのだと思います。

「どんな才能も、使わなければ無いに等しい」という言葉があります。

その通りだと思うのです。発揮して初めて、人の目に触れることができます。才能という形のないモノは、発揮されることでその存在を認められます。

自分の中に渦巻く色々も、こうして形にして初めてそこあったことになる。

でないと、いつかそこにあったことも忘れてしまって、本当に最初から無かったことになってしまうと思うのです。

反映させなければ、無くなってしまうんです。