昨日より少しだけ

コーヒーがおいしくなればいいと思って書いている

目的を知ること

自分のことは意外とわからないもんだなと思います。

何かをやりたいと思った理由や目的が、後から考えれば建前や取って付けで、本当のところは別の感情で動いていた。なんてことがあります。

「上手くいってるはずなのに、何だかしっくりこない」なんて時は大体そうなんじゃないかと思います。

どこかで何かに流されたのか、自分で隠してしまったのか、理由は書き換えられて、いつの間にか「自分はそれを望んでいる」と自分で思い込んでしまいます。

自分の目的は何なのかとか、どうしてそれをやるのかとか、そういうことはとても基本的なことで、でも実はちゃんと知るのが難しいことなんじゃないかと思います。

楽しくない休日

時間は有限なので、なるべく無駄なことはしたくありません。

休みの日は自由な時間が多いので、平日にはできないようなことを沢山したいと思います。具体的には、普段の行き帰りでは寄れない場所への買い物とか、時間のかかる料理を仕込むとかです。

やりたいことは尽きません。

書き溜めたリストは無くなることなく、減ったり増えたりを繰り返します。

リストがいっぱいだと、何もやれていない気分になってくるので、なるべく効率的に消化していきたいと思います。その為にスケジュール帳やらリマインダーやら、上手に時間を節約するツールを使います。

 

そうして過ごしていると、ある時何も楽しくなくなっていること気づきます。

書き留めておいたやりたいことをやっているのに、です。

いつから僕の毎日は「リストを消化する為の時間」になったのでしょう。これでは何のためのリストだかわかりません。何のための時間の節約なのかもわかりません。

全ては「楽しい休みの日」のためにあったはずなのです。

変わらずにいたい

客観的な見方に引っ張られたくないよなと思います。

「大人になったからお酒を飲む」みたいな、そういう誰が考えたのかわからない空気みたいなのに流されて決めるのでなく、自分の中の感情と理屈に従って、選択していきたいと思うのです。

歳を重ねる中で自分の中に起こる変化と、世の中でのラベリングみたいな見方の更新は、どちらも大きな意味で成長と捉えることで片付けられてしまいます。なので、とても混同されやすいように思います。

自分の変化を感じようとする中で、自分の感覚と世間の価値観の見分けが付かなくなりそうです。

間違っても「偉くなったから、やってもいい」なんて判断の下し方をする人間にはなりたくないと思います。

お金があっても無くても、やることや立場が変わっても変わらなくても、毎日同じようにコーヒーを淹れたいと思うのです。

今日は何だか疲れたので

別に大して普段と違うことをしたというわけでもない。

ないのだけど、何だか今日は疲れたので、今日やることはあと1つだけ。

これだけやって、あとは休もうと思います。

寝る時間にはまだ早いし、それまでにやりたいこともいくつかある。でもこの状態でやったところで結局ぐちゃぐちゃしてしまう。

とはいえ何もやらないのも、どこか消化不良な気持ちになってしまうので、1つだけ。

これだけしっかりやって、時間をかけてやって、それで今日はOKにしてしまおう。

あとは明日のために普段より多めに休息を取ろう。

今日はそういう日だ。雨も降っているし。

街並みは絶えず変わっていく

ここ2〜3年で、インターネットの世界から確実に距離を置いている自分がいます。

僕がインターネットに住み始めた頃とそれ以前でも、ネット世界の様相はずいぶん変わっていたと思うのです。僕はその変遷を嘆いたり、一抹の寂しさとともに振り返る声をたびたび聞いてきました。

それからまた時間が経って、ネット世界はまた大きく姿を変えました。

その中で僕は自分を取り巻く状況の変化から、「インターネットと距離を置く」という選択を取りました。「状況の変化」とは、僕が歳を重ねる上での日常的な変化でも、ネット世界の変遷でもあります。

そしてそれは自然なことだったと思います。

誰もが自分の暮らしを持っていて、その中で居場所が変わっていくことは普通のことで、それはインターネットでも変わらないのだと思います。

沢山の人が行き来して、そしてそこにいる人たちで作り上げていくこの世界は、常に形を変え続けています。それはネットでも街でも同じだと思うのです。

最近見た夢

人が死んでいる夢を見ました。知らない誰かです。

二人組の男の人でした。

芸人さんか何かしらの演者さんらしく、映画館らしき場所のロビーでまた別の人と3人で談笑していました。そこに僕はいません。

二人の活動は終わりに向かっているらしく、二人組の片方の人にはどこかやるせない気持ちがあるみたいでした。

話が終わり、二人組のもう片方がトイレに行くと席を外します。

そこで僕は、ふと気になってその人の後を追ってトイレに入ります。

その人は個室に入ったらしく、トイレに人は見当たりませんでした。しかし個室の鍵はどれも空いているようです。

僕は何だかおかしな雰囲気を感じて、不意に開けた一つの個室の中で、その人は首を吊っていました。

びっくりして揺さぶりましたが、反応がありません。

何事かと近くにいたであろう40代くらいの男の人が慌ててトイレに入ってきました。僕はその人にその場を任せてさっきまで談笑していた2人を呼びに行きます。

戻ってくると、なんとその40代くらいの男の人まで首を吊ろうとしているところでした。

みんなで何とかその人を縄から降ろそうとします。

 

・・・・という夢を見ました。ここで目が覚めます。

何の記事だったか思い出せない

「大人と子どもの相対性の話」

この短い文だけが下書きに残されていました。

昨日の夜遅く、寝る前にふわっと思いついて書き残した下書きです。あとで記事にしようと思ってました。

確か、小学生の自分にとっては20代の人はめっちゃ大人に見えたけど40代からすると全然若造だし、その40代の人も60代の人からすると「まだまだ若い」という認識になるという意味だったと思うのです。

ここまでは思い出せます。

思い出せないのは、この理屈を用いて何を言いたかったのかです。肝心なところが抜け落ちています。これでは記事になりません。

そしてたぶん思い出すこともないでしょう。

さようなら、書きたかった記事。次会う時はもっと良い内容で浮かんでこいよ。