昔のブログを越えられない
昔の自分って頑張ってたんだなぁと思います。
このブログは今のところ営利目的では運営していないのですが、一応アナリティクスで計測をしていたりします。
書いた記事の数は120を越えているのですが、未だに更新の止まった古いブログの集客を抜くことができないでいます。
前のブログも大して集客できていたわけではないのですが、それでも抜けずにいます。
いかに、このブログが集客に力を注いでいないかがわかります。
それと同時に、当時の努力はそれなりに実を結んでいたのだなぁと、今になって気付きます。
我が家のエスプレッソマシン
僕の家にはエスプレッソマシンがあります。
父が夜中にポチってしまった高級な代物で、横から伸びたノズルでミルクを泡立ててカフェラテを作ることもできる優れものです。
僕が使うようになるまでは家族の誰にも使われず、ホコリを被っていました。
父曰く「手間がかかるので使いずらい」とのことです。悲しい。
僕は普段はドリップでコーヒーをいれるのですが、せっかく良いマシンがあるのだからとエスプレッソでもコーヒーを飲むようになりました。
買ってきた氷に冷たいミルクを注いで、アイスラテにして飲むのがお気に入りです。
しかしこの方法ではミルクスチーマーを使う必要はありません。
なので、実は普通のエスプレッソマシンでも事足ります。
僕は、この優れたマシンの能力をフル活用する日は多分来ないのだろうなぁと思っています。
静かな場所が好き
落ち着いて、一人になれる、静かな場所が好きです。
それが水辺であれば尚良し。
僕は今住んでいるところからしばらく行ったところに湖があるのですが、そこがお気に入りの場所になっています。
近くに街はあるのですが、その湖はその一帯からは切り外されたように静かな場所です。近くの道路を走る車の音もほとんど聞こえてきません。
湖なので風を遮る物が無く、風のある日はいつも柳の木だけが揺れています。
僕はその湖を縁に沿ってゆっくり歩くのが好きです。
向かうあても無く、ただ歩きます。
歩きながらぼんやりと、頭の中にいろんなことを浮かべていきます。
浮かべるだけで、あまり深く考えたりはしません。
そうやって歩いて、自分の心と体が混じって馴染んで、落ち着きが取り戻されるのです。
靴を洗わない
小学生の頃は、上履きを洗ってましたよね。
毎週金曜日になると、ランドセルに引っ掛けたりして持って帰って、たわしと洗剤でゴシゴシやってました。たまに学校に忘れて帰っちゃったりして。
靴を洗わなくなったなと思うのです。
僕は日々スニーカーを履いて過ごしています。ほとんど毎日同じものを履くので、1年もすれば底がすり減りくたびれてきて、長くても2年で買い替えてしまいます。
「汚れたな」と思う頃には大抵買い替えのタイミングが迫ってきています。
だからもう長いこと靴を洗っていないです。
別にそれで悪いとも思っていないのですが、何というか1年かけて使い捨てている形なので「これで良いのかなぁ」みたいな感じにはなります。
毎日履いてりゃ、くたびれてもくるんですけどね。
「やる気」という魔法
「やる気」というものはそもそも存在しないのだそうです。
人間には今行っている行動を続けようとする、物理学で言うところの「慣性の法則」のような習性があるそうです。
「やる気が出ない」というのは結局はそういう言い回しの1つでしかなく、実際のところは「それをやらないでいる」という行動を続けようとする人間の習性に抗えずにいる、という状態らしいのです。
一体「やる気スイッチ」とは何だったのか。
僕は今までどれだけのことを「やる気が出ない」という理由で遠ざけてきたことか。
過去に重ねてきた罪の重さ、悔やんでも悔やみきれません。
でも、そう言われてみれば確かに、「やる気を出した自分」という別人みたいな誰かを勝手に描いていたよなとも思うのです。
ひとつ、魔法が解けたような気がします。
今週のお題「やる気が出ない」
ビールを飲んで、夜風を浴びる
この頃は暖かいを通り越して暑い日になることもあります。
半袖で過ごしている人もちらほら見かけるようになりました。
5月は前半にゴールデンウィークがあるので、毎年ふと気付いたら半分が終わっているような感じがします。
田んぼに水が張られ、夜はかえるの鳴き声が響くようになりました。
また夏が始まろうとしています。
するすると進んでいく時間の中で、僕はビールを飲んで夜風に当たって過ごしています。
自分にできることはやっているけれど、それでも置いて行かれてるような感覚になります。
こんなこと考えたって、仕方ないのにね。