最近見た夢
人が死んでいる夢を見ました。知らない誰かです。
二人組の男の人でした。
芸人さんか何かしらの演者さんらしく、映画館らしき場所のロビーでまた別の人と3人で談笑していました。そこに僕はいません。
二人の活動は終わりに向かっているらしく、二人組の片方の人にはどこかやるせない気持ちがあるみたいでした。
話が終わり、二人組のもう片方がトイレに行くと席を外します。
そこで僕は、ふと気になってその人の後を追ってトイレに入ります。
その人は個室に入ったらしく、トイレに人は見当たりませんでした。しかし個室の鍵はどれも空いているようです。
僕は何だかおかしな雰囲気を感じて、不意に開けた一つの個室の中で、その人は首を吊っていました。
びっくりして揺さぶりましたが、反応がありません。
何事かと近くにいたであろう40代くらいの男の人が慌ててトイレに入ってきました。僕はその人にその場を任せてさっきまで談笑していた2人を呼びに行きます。
戻ってくると、なんとその40代くらいの男の人まで首を吊ろうとしているところでした。
みんなで何とかその人を縄から降ろそうとします。
・・・・という夢を見ました。ここで目が覚めます。
何の記事だったか思い出せない
「大人と子どもの相対性の話」
この短い文だけが下書きに残されていました。
昨日の夜遅く、寝る前にふわっと思いついて書き残した下書きです。あとで記事にしようと思ってました。
確か、小学生の自分にとっては20代の人はめっちゃ大人に見えたけど40代からすると全然若造だし、その40代の人も60代の人からすると「まだまだ若い」という認識になるという意味だったと思うのです。
ここまでは思い出せます。
思い出せないのは、この理屈を用いて何を言いたかったのかです。肝心なところが抜け落ちています。これでは記事になりません。
そしてたぶん思い出すこともないでしょう。
さようなら、書きたかった記事。次会う時はもっと良い内容で浮かんでこいよ。
それほど記事を書かないでいる
僕がこうしてブログを書く時は、大抵時間に余裕がある時だったりします。
最近のように何かしらやることがあったり、忙しい時は更新頻度がガクッと下がります。
その傾向はこのブログで更新をするようになってから顕著ですが、実は以前からありました。その度に「書く気になれない」なんて内容の記事も書きながら、努力して更新の頻度を維持していました。
ぼんやりと何かを思う余裕がある時、それを言語化する時間がある時、僕の意識は初めてブログに向かうように思います。「これを言葉にして放ちたい」という感覚が表れます。
そしてこの感覚は、僕にとってそれほど優先順位の高いものではないようなのです。
他の時間を削ってまでやろうと思わないし、そこに理解するための労力を集中させたいとも思いません。
根本的な熱量がそれほど高くないと思うのです。
そういうところに、理由があると思うのです。
1年が折り返そうとしている
6月が下旬になって、今年も半分が終わろうとしています。
僕はどちらかというと手帳の中で1年を区切っている節があるので、毎年手帳を買い替える11月が1年の大きな切り替えのタイミングだったりします。
なので、実は5月の時点で僕の手帳はもうすでに折り返しに入っています。
早かったなと思います。
今年もあとは夏を過ごすのみといった感じです。
昨年もそれなりでしたが、今年も昨年に負けず劣らず盛りだくさんな1年になりそうで、何よりです。
この1年にユウシュウノビを飾るべく、素敵な夏を彩りたいところですね。
服が選べなくなった
流行りのファッションは気が進みません。
どうせ2、3年後に手放す未来が見えてしまっていて、それでも買うのはなんだか消費するように買っている気がして嫌なのです。
ブランドものにも手が伸びません。
物が良いので長く着れるし、流行に左右されない良さはあるんじゃないかと思います。けど、今の自分の身の丈にはどうしても合わないように感じてしまいます。
ここ2、3年「ちょうど良いところ」が見つかりません。
客観的な価値観から離れて、自分の中に正解を探そうとしたあたりから、ファッションというものがよくわからなくなった気がします。
僕はきっとお洒落じゃないし、お洒落に興味も無かったんだなぁと、最近になって気付きました。
活字が足りない。
活字不足です。
本を読む時間が取れません。行間に挟まれて活字の海に溺れたい。そんな時間が僕には必要です。
読んでみたい本は定期的に出てきます。買っては積まれ、テーブルの上に積み上がっていく未読本に目を向けられず、新しく本を買うことをやめた時期もありました。
とはいえ、買わなければ本を読むこともありません。
新しく読みたい本を探すことは、本を読む意欲を育む温床になるのです。
結局新しく積まれる本はそれほど減りませんでした。
そして、それが消費される速度が上がることもありませんでした。
「これではまずい」そう思い始めてから何年経ったことでしょう。積まれている本のラインナップは時間とともに変わっているのですが、いつでもそこに本が積まれているという光景は変わりません。
買っては積み、読んではしまい、また引っ張り出して積み上げて。
なんだか賽の河原のようだなと思います。ここは地獄だったのか。
飛ばし読みをしてしまう
以前より確実にセッカチになったなと、思います。
世の中が便利になったからなのか、僕の時間感覚が変わったからなのか、とにかくどっかり構えて文字を追うことが前より確実に難しくなりました。
ついつい、先を追ってしまいます。
読んでいる小説に対して「要点だけ箇条書きにして欲しい」なんて愚の骨頂のような感情を抱きます。
以前に自己啓発本の要点をまとめたページを見て「そんなことして何になるのだろう?」と疑問に思ったものですが、そこに需要はありました。
僕は読書を嗜む人間の風上にも置けない、ただただ粋じゃないヤツに成り下がったようです。
本の読み方は年齢によって変わると聞きますが、こんな読み方をする日が来るとは思いませんでした。