昨日より少しだけ

コーヒーがおいしくなればいいと思って書いている

お金を使いたくなった

ある時、ふとワイヤレスイアホンを買おうと思ったのですが、別に持ってるイアホンは壊れてないのでやめました。

つまるところ、何となくお金を使いたい気分になったのだと思います。

そういう時はたまにあります。別に必要というわけではないのだけど、なんか欲しくなって買ってしまうのです。その時欲しくなったのが、たまたまワイヤレスイアホンだったというだけなのです。

良さそうなのをネットで探して、そこで正気に戻ってやめました。

しかし、そこで思います。

「僕はいつまで有線のイアホンを使っているのだ」と。

使っているイアホンのプラグの接触の悪さにモヤモヤするとか、斜めがけカバンを背負うのに1回イアホンを取らなきゃいけないのが面倒だとか、そういう過ごし方がもう既に時代遅れなんじゃないかと気付いたのです。

こうして人は年寄りになっていくのですね。でもイアホンは買いません。

好きなことへの幻想

好きなことだからといって、無尽蔵にできるわけでもないのだなと思いました。

考えてみれば当たり前なのかもしれません。

焼肉だってお腹いっぱい食べれば苦しくなるし、好きなだけ眠ってたいなんて言ったところで、15時間も眠れば大抵目が覚めてきます。

何にでも限りがあるのが、この世の中です。

でも、自分の好きなことやりたいことであるのなら、何とでもやれてしまうのではと思っているところがありました。魔法のように力が湧いてくるのではと。

そんなことは、どうやら無さそうです。

好きなことも、そうじゃないことと同じように体力を消費して行われることであり、続ける努力も向き合う時間も、他の日々やっていることと同じようにきっと必要なのだと思います。

好きなことは、魔法ではなかったみたいです。

おじさん構文は僕の心にも宿っている

結局その日は、午後になって別のビッグニュースが舞い込んだため、世間ではそれほど話題にはならなかったように思います。

それでも、僕にとっては多少の危機感を抱かせる話題でした。

 

「おじさん構文」という言葉と共に、そのニュースは話題になっていました。

なんでも、あるラーメン屋から締め出しをくらった人が綴った釈明の文章がいたく気分を害する物だったという、そういう話です。

カッコ書きでセルフツッコミを入れるとか、女性に対する偏見が感じられるとか、そういう前時代的痛々しさのある文章を指して「おじさん構文」と呼ぶようです。

いわゆるネットスラングというやつで、具体的におじさん構文を定義する物は無いんだと思います。

実際、例には挙げましたが「カッコ書きでセルフツッコミ」も「女性に対する偏見」もそれが「おじさん」を感じさせるかというと、微妙な所だと思います。

「カッコ書きでセルフツッコミを入れるのがおじさんっぽい」というよりは、文章内に散りばめられた言葉のニュアンスから垣間見える書き手の姿、そこにイタいおじさんを見て「おじさん構文」という言葉が出てくるのが実際のところなんじゃないかと思うのです。

 

だから、僕には他人事に思えませんでした。

僕が何の勉強も無しに好き勝手書いているこのブログ、40、50代になった自分が今のまま好き勝手書いたら、それがそのまま「おじさん構文」になっているかもしれないのです。

当たり前ですが、作家に対する編集のような人はいないので、「ここは直さないと気持ち悪いよ」と言ってくれる人もいません。気付かされるのは人目に触れて「これはおじさん構文である」と判断された時です。

僕の価値観はまだ、世の中とそれほど乖離しているとは思いません。

ですが、僕はもう自分の価値観が世の中と必ずしも一致しないであろうことも知っています。

目まぐるしく変化する世の中で、自分の書く文章がある日突然「おじさん構文だ」と言われても、それはまるで不自然なことではありません。そして僕は男性である以上、きっとおじさんになります。

その事実が、僕に引き際を考えさせるのです。

毎年10月は手帳交換の月

今月の目標は、手帳の交換です。

僕の使っている手帳、もといスケジュール帳は紙のスケジュール帳です。1年が11月から始まるタイプのもので、なので毎年10月はどこかで新しい手帳への移行作業をしています。

具体的には、直近の予定の書き写しとか、近しい人の誕生日の記入とか、この1年でやりたいと思っていたことの清算、繰り越しなどをやります。

毎年の恒例行事なんかを書き写しながら「今年はあれができたけど、これはやり損ねたなぁ」と思い返し、次の手帳に予定として反映させていきます。

多くの人が年末年始にやっているようなことかもしれません。

年度の節目も合わせると、3つのポイントで1年が切り替わっていることになります。ややこしいですね。

11月から始まる手帳を使う人は、みんなそう思っているんじゃないかと思います。

 

今週のお題「今月の目標」

同じようには書けない

確かな自分など、どこにもいないのだろうなと思います。

ブログを書いていると、昔の自分の書いた文章を見る機会があるのですが、その時の自分を思うたびに、ずいぶんと変化してきたなと感じます。

僕が、人と比べて変化に富む人間性であるかはわからないのですが、それでも5年経っても同じように居られる人は、そうはいないんじゃないかと思います。

そう思うと、「1つのブログとしてある程度一貫性のある内容にしよう」みたいな発想が土台無理な試みに見えてきます。

僕はどんな思いでこのブログを立ち上げたのか、あの時の感情を再現する術はどこにもないのです。

あるいは、もっと歳を重ねていけば5年も10年も同じように感じられるようになっていくのでしょうか。

久々にちゃんと休んだ気がする

ワクチンを打ちました。

副反応の様子を見るため休みを貰いました。

貰った休みと元々休みだった日がくっついて3連休になりました。僕は基本的に単休だったので、「明日も休み」という感覚は久々でした。わくわくしますが、ワクチンを打つので結局大人しくしていなければなりません。

何をするということもなく、沢山寝て、起きている時はエヴァンゲリオンを見て過ごしました。テレビシリーズの方です。

こんなに何もしなかったのは久々だったなと思います。

振り返ると、休みの日はあっても、何かしらの用足しに出掛けたりしていることがほとんどで、普通に起きるし、普通に行動している僕でした。

ちゃんと休むと、ちゃんと身体が動くようになるんですね。

休息をナメていたなと思います。

時間は作るもの

「時間は作るもの」なんて言葉がありますが、本当にそうなんだなと思います。

予定とか約束というのは、いつのまにか入り込んでいるもので、何もしないでいたらほとんど自動的にスケジュール帳は埋め尽くされてしまいます。

時間は勝手に過ぎていくし、過ごせばそれがそのまま予定になっていきます。

やりたいと思ったら、それをやる為の時間を作って予定として入れておかないと、いつまで経っても後回しです。

もっと、能動的にならないといけないのだなと思います。