講習を受けに行った話
ひょんなことから2日間の講習を受けることになりました。資格講習です。
会場まで距離があるため、朝6時に起きて7時過ぎの電車に乗り、8時半に現地に着くという何ともサラリーマン的な朝の過ごし方をしました。
今の自分は、生活が住んでる家からせいぜい半径20キロくらいで完結するようになって久しいので、懐かしいような不思議な感覚でした。
講習は丸2日間、朝から夕方まで行われました。
辺りが真っ暗になった頃に終わり、そこからまた電車に乗って帰ります。家に着くのは19時半とかで、朝が早かったので22時過ぎには眠くなってきます。
「電車で通勤する人ならば、本当にこんな生活サイクルの人もいるんじゃないか?」
そう思うと、何だか違う人の人生を過ごしているような気がしてきて、ちょっと面白くなりました。
もしかしたら、こうやって生活する自分もいたのかもしれません。
習慣が形になってきた
習慣に流されすぎるのも、少し怖いような気もします。
この頃は、繰り返してきた新しい生活リズムにすっかり身体が馴染み、多少夜更かしし過ぎても、大体同じ時間に目が覚めるようになってきました。
ここまで来るとしめたもので、あんまりしっかり考えなくても、ちゃんと身体がいつものルーティンをこなしてくれるようになります。
とっても便利なことなのですが、今度は逆にぼんやり時間を過ごすことが増えたように感じます。身体が習慣に沿って動くのに任せて、頭を使う機会が減ったように思うのです。
何事も日々の積み重ねとする一方で、時々何の為に積み重ねているのかも考えずに過ごすことがあるのです。
これは、どうやら良いことばかりではなさそうに思えます。
10の質問に答えてみた
はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問」
ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?
「昨日より少しだけ〇〇してみよう」みたいな感じで、他の言葉とくっつけることで何かに踏み出したりプラスアルファーな感じになるので、合言葉みたいで良いなと思って付けました。
はてなブログを始めたきっかけは?
始める前は自分のウェブサイトを持ってみたいと思っていた。1番最初はhtmlで書いたりしたのですが、続きませんでした。そしてなんやかんやではてなにやってきた。
自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?
色々あったけど「これだ!」というのはあんまり無い。自分の生活とか感情に結び付いてるけど、あり触れてはいなさそうな記事が書けた時に「いい記事書けた」と思う。
ブログを書きたくなるのはどんなとき?
大体いつも「そろそろ何か書かなきゃ」と思って記事を書いている。
お気に入りのマグカップが壊れた。みたいなちょっとした出来事で自分が何かを感じた時に「これは記事になる」と思う。
下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?
途中まで書いて放置してる記事が今見たら20くらいあった。
内容が偏ってたり、自分以外の人のことが書かれていたり、書き出してはみたけど良い感じにならなかったりしたモノ達を一応残しておいてる。
自分の記事を読み返すことはある?
しばしばある。書く手が止まった時に過去記事を参考に書いたりする。進歩が無くなりそうな感じがするのでやめたい。
好きなはてなブロガーは?
まけもけさん。
いろいろと絶妙な感じが好き。
はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?
いつもお手軽にブログを書ける環境でいてくれてありがとう。
10年前は何してた?
青春とかしてた頃なんじゃないかと思います。知らんけど。
この10年を一言でまとめると?
「極彩色」
いろんなことがあったし、いろんなことが変わったし、それに伴って自分の心が動くことも沢山あったなと思います。目眩のするような彩溢れる10年でした。
こういうの、やらないのも変かなと思ってやってみました。
普段の記事ももっと色々書いてもいいのかもしれないと思いました。
コーヒーを飲み続けているくらい
ここ10年で変わったことと言ったらそれはもう、数え切れません。
住んでる場所から生活スタイルにやってることまで、ほとんど全部変わってしまったと言ってもいいくらいだと思います。
それなのに、当時は今の状態がいつまでも続くような気がしながら過ごしていたりするので不思議なものです。
変わらなかったことと言えば、コーヒーを飲んでいることくらいでしょうか。
10年前も今も、ドリップでコーヒーを淹れて飲んでいます。ほぼ毎日。
すごいんだかすごくないんだかよくわからないですね。
あまりに何気ないので見過ごしていましたが、僕はきっと自分で思っているよりコーヒーが大好きなのだと思います。
はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」
お金を使いたくなった
ある時、ふとワイヤレスイアホンを買おうと思ったのですが、別に持ってるイアホンは壊れてないのでやめました。
つまるところ、何となくお金を使いたい気分になったのだと思います。
そういう時はたまにあります。別に必要というわけではないのだけど、なんか欲しくなって買ってしまうのです。その時欲しくなったのが、たまたまワイヤレスイアホンだったというだけなのです。
良さそうなのをネットで探して、そこで正気に戻ってやめました。
しかし、そこで思います。
「僕はいつまで有線のイアホンを使っているのだ」と。
使っているイアホンのプラグの接触の悪さにモヤモヤするとか、斜めがけカバンを背負うのに1回イアホンを取らなきゃいけないのが面倒だとか、そういう過ごし方がもう既に時代遅れなんじゃないかと気付いたのです。
こうして人は年寄りになっていくのですね。でもイアホンは買いません。
好きなことへの幻想
好きなことだからといって、無尽蔵にできるわけでもないのだなと思いました。
考えてみれば当たり前なのかもしれません。
焼肉だってお腹いっぱい食べれば苦しくなるし、好きなだけ眠ってたいなんて言ったところで、15時間も眠れば大抵目が覚めてきます。
何にでも限りがあるのが、この世の中です。
でも、自分の好きなことやりたいことであるのなら、何とでもやれてしまうのではと思っているところがありました。魔法のように力が湧いてくるのではと。
そんなことは、どうやら無さそうです。
好きなことも、そうじゃないことと同じように体力を消費して行われることであり、続ける努力も向き合う時間も、他の日々やっていることと同じようにきっと必要なのだと思います。
好きなことは、魔法ではなかったみたいです。
おじさん構文は僕の心にも宿っている
結局その日は、午後になって別のビッグニュースが舞い込んだため、世間ではそれほど話題にはならなかったように思います。
それでも、僕にとっては多少の危機感を抱かせる話題でした。
「おじさん構文」という言葉と共に、そのニュースは話題になっていました。
なんでも、あるラーメン屋から締め出しをくらった人が綴った釈明の文章がいたく気分を害する物だったという、そういう話です。
カッコ書きでセルフツッコミを入れるとか、女性に対する偏見が感じられるとか、そういう前時代的痛々しさのある文章を指して「おじさん構文」と呼ぶようです。
いわゆるネットスラングというやつで、具体的におじさん構文を定義する物は無いんだと思います。
実際、例には挙げましたが「カッコ書きでセルフツッコミ」も「女性に対する偏見」もそれが「おじさん」を感じさせるかというと、微妙な所だと思います。
「カッコ書きでセルフツッコミを入れるのがおじさんっぽい」というよりは、文章内に散りばめられた言葉のニュアンスから垣間見える書き手の姿、そこにイタいおじさんを見て「おじさん構文」という言葉が出てくるのが実際のところなんじゃないかと思うのです。
だから、僕には他人事に思えませんでした。
僕が何の勉強も無しに好き勝手書いているこのブログ、40、50代になった自分が今のまま好き勝手書いたら、それがそのまま「おじさん構文」になっているかもしれないのです。
当たり前ですが、作家に対する編集のような人はいないので、「ここは直さないと気持ち悪いよ」と言ってくれる人もいません。気付かされるのは人目に触れて「これはおじさん構文である」と判断された時です。
僕の価値観はまだ、世の中とそれほど乖離しているとは思いません。
ですが、僕はもう自分の価値観が世の中と必ずしも一致しないであろうことも知っています。
目まぐるしく変化する世の中で、自分の書く文章がある日突然「おじさん構文だ」と言われても、それはまるで不自然なことではありません。そして僕は男性である以上、きっとおじさんになります。
その事実が、僕に引き際を考えさせるのです。