夢の続きを聴いている
この頃はまた音楽を聴くようになっています。
Spotifyプレミアムにも入会しました。
10代の頃はそれらしくバンド音楽に浸かったりしていましたが、ハタチを過ぎた頃から新しい音楽を積極的に取り入れるようなことはしなくなっていました。
みんなそうやって大人になっていくんだと思います。
僕はたまたま音楽を奏でる趣味を持ったので、普通に音楽を聴く人とは少しだけ違う関わり方の中で、「新しく音楽を聴こう」と思えることがあったのだと思います。
それじゃなきゃ、僕にとって米津玄師はハチさんのままで終わっていたと思うのです。
僕が好きだったアーティストの、僕が聴かなくなった後に出された曲を、こうして聴くことは無かったと思うのです。
僕が好きだったアーティストたちは、僕が聴かなくなった後にも2つ3つアルバムを出して活動を続けています。活動休止、解散となった人たちもいます。
ここがきっと、あの日見た夢の続きなのだなと思います。
難しく考えてしまう
もっと適当なことを書いて良いと思うのです。
誰かに「ちゃんとした内容にしなさい」と言われたわけでもありません。けど、いつの間にかこうなんか畏まっちゃった内容の記事を書こうとしている自分がいます。
更新頻度が少ないのは通常運転です。
「あまり難しく考えすぎるな」とこの頃はよく言われています。
もっと砕けていて良いのだとわかっていても、そうじゃないのが普段の自分ですから、どう砕けたら良いのかもよくわからないみたいなそんな感じになってしまいます。
そもそも砕けるとは一体どういうことなのだろうか、、、、
かくして僕は難しく考えすぎないことを難しく考えるという、ヤヤコシイ思考の泥沼に嵌っていきます。
人の心を理解し始めたロボットみたいですね。
目的を知ること
自分のことは意外とわからないもんだなと思います。
何かをやりたいと思った理由や目的が、後から考えれば建前や取って付けで、本当のところは別の感情で動いていた。なんてことがあります。
「上手くいってるはずなのに、何だかしっくりこない」なんて時は大体そうなんじゃないかと思います。
どこかで何かに流されたのか、自分で隠してしまったのか、理由は書き換えられて、いつの間にか「自分はそれを望んでいる」と自分で思い込んでしまいます。
自分の目的は何なのかとか、どうしてそれをやるのかとか、そういうことはとても基本的なことで、でも実はちゃんと知るのが難しいことなんじゃないかと思います。
楽しくない休日
時間は有限なので、なるべく無駄なことはしたくありません。
休みの日は自由な時間が多いので、平日にはできないようなことを沢山したいと思います。具体的には、普段の行き帰りでは寄れない場所への買い物とか、時間のかかる料理を仕込むとかです。
やりたいことは尽きません。
書き溜めたリストは無くなることなく、減ったり増えたりを繰り返します。
リストがいっぱいだと、何もやれていない気分になってくるので、なるべく効率的に消化していきたいと思います。その為にスケジュール帳やらリマインダーやら、上手に時間を節約するツールを使います。
そうして過ごしていると、ある時何も楽しくなくなっていること気づきます。
書き留めておいたやりたいことをやっているのに、です。
いつから僕の毎日は「リストを消化する為の時間」になったのでしょう。これでは何のためのリストだかわかりません。何のための時間の節約なのかもわかりません。
全ては「楽しい休みの日」のためにあったはずなのです。
変わらずにいたい
客観的な見方に引っ張られたくないよなと思います。
「大人になったからお酒を飲む」みたいな、そういう誰が考えたのかわからない空気みたいなのに流されて決めるのでなく、自分の中の感情と理屈に従って、選択していきたいと思うのです。
歳を重ねる中で自分の中に起こる変化と、世の中でのラベリングみたいな見方の更新は、どちらも大きな意味で成長と捉えることで片付けられてしまいます。なので、とても混同されやすいように思います。
自分の変化を感じようとする中で、自分の感覚と世間の価値観の見分けが付かなくなりそうです。
間違っても「偉くなったから、やってもいい」なんて判断の下し方をする人間にはなりたくないと思います。
お金があっても無くても、やることや立場が変わっても変わらなくても、毎日同じようにコーヒーを淹れたいと思うのです。
今日は何だか疲れたので
別に大して普段と違うことをしたというわけでもない。
ないのだけど、何だか今日は疲れたので、今日やることはあと1つだけ。
これだけやって、あとは休もうと思います。
寝る時間にはまだ早いし、それまでにやりたいこともいくつかある。でもこの状態でやったところで結局ぐちゃぐちゃしてしまう。
とはいえ何もやらないのも、どこか消化不良な気持ちになってしまうので、1つだけ。
これだけしっかりやって、時間をかけてやって、それで今日はOKにしてしまおう。
あとは明日のために普段より多めに休息を取ろう。
今日はそういう日だ。雨も降っているし。
街並みは絶えず変わっていく
ここ2〜3年で、インターネットの世界から確実に距離を置いている自分がいます。
僕がインターネットに住み始めた頃とそれ以前でも、ネット世界の様相はずいぶん変わっていたと思うのです。僕はその変遷を嘆いたり、一抹の寂しさとともに振り返る声をたびたび聞いてきました。
それからまた時間が経って、ネット世界はまた大きく姿を変えました。
その中で僕は自分を取り巻く状況の変化から、「インターネットと距離を置く」という選択を取りました。「状況の変化」とは、僕が歳を重ねる上での日常的な変化でも、ネット世界の変遷でもあります。
そしてそれは自然なことだったと思います。
誰もが自分の暮らしを持っていて、その中で居場所が変わっていくことは普通のことで、それはインターネットでも変わらないのだと思います。
沢山の人が行き来して、そしてそこにいる人たちで作り上げていくこの世界は、常に形を変え続けています。それはネットでも街でも同じだと思うのです。